2011年02月24日
最初の癌宣告から16年
何が4度目の告知なの?と訊かれそう。
一度目は16年前、1995年の12月。会社の健康診断で食道ガンが見つかり入院、そして手術。食道を全摘出して胃を食道の代わりにするというかなりの大手術、最近はもっと軽い方法があるのかと思ったけど指揮者の小澤征爾が去年同じ手術をしたみたい。当時コンサルタントとしてのスタートを切ったばかり、4ヶ月の入院と完全職場復帰まではさらに二ヶ月ほどかかったのは痛かった。でも退院後2週間ほどでシンガポール出張をこなすなど、若さと根性はあったみたい。それから12年、なんとか定年退職までポンコツの体をだましだまし引っ張った感じ。退職翌年には初孫も見られあとはのんびり温泉巡りで余生を、などと考えていたのだけど。
世の中そんなに甘くないというかガンのことなど忘れかかっていた昨年夏、左の顎下に固いしこりがあるのに気づき、リンパ腺へ癌の転移ではないかといういやな予感。名大病院での検査の結果「原発不明癌左頸部転移」とか、翌日から検査入院。結果、放射線と抗ガン剤治療で進めようとそのまま長期入院。9月17日の入院から30回の放射線照射、2度の抗ガン剤点滴治療をうけ11月26日退院、ちょうど10週間。放射線の後遺症はきつく、味覚障害と唾液が全く出ないという何でもないことのようで実は大変な状態に。食道癌の時のように食べられないようなことはないけど、食事をしても何を食べているのか分からない、唾液が出ないので食事のたびに500CCのペットボトル一本を空にして流し込むといった風。医者はいつ直るとも言えないようで訊けば笑ってごまかされる。
そうこうしているうちに2ヶ月が過ぎ1月末に退院後初の精密検査。検査翌日女房と二人結果の診断を聞きに行くと「いい知らせと悪い知らせがある」と主治医の先生。要は治療していた癌はきれいに消えたけど、新たに第5頸椎に骨転移しているという、これが3度目の癌告知。この癌はやっかいで放射線は当てられないし抗ガン剤もない、癌の増殖を防ぐゾメタという薬を4週ごとに通院で点滴するという。まあそうしているうちに新薬が出るかもしれないし、最終手段としては白血病覚悟で放射線を当てるかということだろう。嫌もおうもなくその治療を受けることにして第一回が1月27日、多少熱が出たり頭が痛かったりの副作用はあったものの一過性のもので何事もなく毎日が過ぎていったのだけど。
2月11日、テレビの画面が二重に見えることに気づいた。片目ずつならふつうに見える。寝れば直るかと思ったけど、どうもだんだんひどくなる感じ。NETでしらべると自宅近所に眼科専門病院があることが分かり連休明けの14日に早速受診、結果は左眼球の動きが悪い、左へ回っていない、原因は脳腫瘍か癌の転移の疑いのことで治療もせずMRI検査のできる名大病院眼科への紹介状を渡される。とんだバレンタインデーだ。翌日の名大眼科でも神経障害で原因は腫瘍の疑いがある、癌治療に当たった耳鼻科の主治医に手紙を書くからと眼科診断はおしまい。二日連続でほとんど同じフルコースの視力検査を受けさせられただけで治療は受けられなかったことになる。17日の耳鼻科ではPETでは分からなかった癌が成長したらしいとのことで再度MRI、結果を見て抗ガン剤を考えるという診断。これが4度目の癌告知。
明日24日、MRIの結果と治療方針を聞きに行くのだけれど、左目の調子は最悪であいているとバランスがとれずまっすぐ歩くこともままならない。鏡で見ると明らかに眼球が内側を向いている。とりあえずこの状態を何とかして欲しいのだけど眼科から見放された以上どうにもならないのだろうな。
見えないのなら身体障害者になるのだろうけど見えてても役に立たないのはどうなのだろうとかおかしなことを考える。
明日は雨なのかな、病院へのタクシーが捕まえにくいのじゃないかな。降らないことを祈ろう。
一度目は16年前、1995年の12月。会社の健康診断で食道ガンが見つかり入院、そして手術。食道を全摘出して胃を食道の代わりにするというかなりの大手術、最近はもっと軽い方法があるのかと思ったけど指揮者の小澤征爾が去年同じ手術をしたみたい。当時コンサルタントとしてのスタートを切ったばかり、4ヶ月の入院と完全職場復帰まではさらに二ヶ月ほどかかったのは痛かった。でも退院後2週間ほどでシンガポール出張をこなすなど、若さと根性はあったみたい。それから12年、なんとか定年退職までポンコツの体をだましだまし引っ張った感じ。退職翌年には初孫も見られあとはのんびり温泉巡りで余生を、などと考えていたのだけど。
世の中そんなに甘くないというかガンのことなど忘れかかっていた昨年夏、左の顎下に固いしこりがあるのに気づき、リンパ腺へ癌の転移ではないかといういやな予感。名大病院での検査の結果「原発不明癌左頸部転移」とか、翌日から検査入院。結果、放射線と抗ガン剤治療で進めようとそのまま長期入院。9月17日の入院から30回の放射線照射、2度の抗ガン剤点滴治療をうけ11月26日退院、ちょうど10週間。放射線の後遺症はきつく、味覚障害と唾液が全く出ないという何でもないことのようで実は大変な状態に。食道癌の時のように食べられないようなことはないけど、食事をしても何を食べているのか分からない、唾液が出ないので食事のたびに500CCのペットボトル一本を空にして流し込むといった風。医者はいつ直るとも言えないようで訊けば笑ってごまかされる。
そうこうしているうちに2ヶ月が過ぎ1月末に退院後初の精密検査。検査翌日女房と二人結果の診断を聞きに行くと「いい知らせと悪い知らせがある」と主治医の先生。要は治療していた癌はきれいに消えたけど、新たに第5頸椎に骨転移しているという、これが3度目の癌告知。この癌はやっかいで放射線は当てられないし抗ガン剤もない、癌の増殖を防ぐゾメタという薬を4週ごとに通院で点滴するという。まあそうしているうちに新薬が出るかもしれないし、最終手段としては白血病覚悟で放射線を当てるかということだろう。嫌もおうもなくその治療を受けることにして第一回が1月27日、多少熱が出たり頭が痛かったりの副作用はあったものの一過性のもので何事もなく毎日が過ぎていったのだけど。
2月11日、テレビの画面が二重に見えることに気づいた。片目ずつならふつうに見える。寝れば直るかと思ったけど、どうもだんだんひどくなる感じ。NETでしらべると自宅近所に眼科専門病院があることが分かり連休明けの14日に早速受診、結果は左眼球の動きが悪い、左へ回っていない、原因は脳腫瘍か癌の転移の疑いのことで治療もせずMRI検査のできる名大病院眼科への紹介状を渡される。とんだバレンタインデーだ。翌日の名大眼科でも神経障害で原因は腫瘍の疑いがある、癌治療に当たった耳鼻科の主治医に手紙を書くからと眼科診断はおしまい。二日連続でほとんど同じフルコースの視力検査を受けさせられただけで治療は受けられなかったことになる。17日の耳鼻科ではPETでは分からなかった癌が成長したらしいとのことで再度MRI、結果を見て抗ガン剤を考えるという診断。これが4度目の癌告知。
明日24日、MRIの結果と治療方針を聞きに行くのだけれど、左目の調子は最悪であいているとバランスがとれずまっすぐ歩くこともままならない。鏡で見ると明らかに眼球が内側を向いている。とりあえずこの状態を何とかして欲しいのだけど眼科から見放された以上どうにもならないのだろうな。
見えないのなら身体障害者になるのだろうけど見えてても役に立たないのはどうなのだろうとかおかしなことを考える。
明日は雨なのかな、病院へのタクシーが捕まえにくいのじゃないかな。降らないことを祈ろう。
Posted by たあちゃん at 01:47│Comments(0)│TrackBack(0)
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