2011年12月31日

大晦日

 あと7時間ほどで今年も終わり。キッチンからは毎年恒例のパウンドケーキを焼く香りが漂ってくる。今年は冴香も手伝っている様子。

 今年もいろいろあったけど1月に第5頸椎への癌の骨転移が見つかったのだっけ。そして2月11日に複視の原因が癌に関係していると判明、ブログを始めるきっかけに。そして3月11日は大震災、自宅で地震を体感したしその後の津波の様子もテレビで生中継で見たし。

 変な言い方だけどこの地震のおかげで、随分と自分の身の不幸を嘆かずに済んだような気がする、世の中にはもっと不幸な人がいるのだと。

 嬉しいこともあった、その翌月4月12日に結月が誕生。ずいぶんスマートな赤ちゃんだと思わせたけど、さすが壬月の弟その後は立派なおでぶに。11月に行徳で見たときははいはいもできなかったけど今は壬月を追いかけ回しているとか。お正月6日に会うのが楽しみ。

 来年はどんな年になるのか、こちらが分かっているのは1月10日に再入院、11日に抗ガン剤ネダプラチンの再テスト投与。結果また電解質異常が起こるようだとその後は??。

 あまりくらい想像はしたくないから考えないようにしよう。また10日間くらいはブログお休みになるな。ご免なさい。スマホなら病院からでも大丈夫みたいだけどとてもそんな元気ないなあ。

 こちら度の合わないメガネ、治療途中の歯、聞こえにくい耳、1日1500CCのお茶とポカリスエット1本の水分制限などなどいろいろ面倒くさい年越しだけど、皆様方は楽しいお正月をお迎え下さい。

 この後また見たくもない紅白を見るともなく見てしまって、来年になっちゃうのでしょうね。ひょっとしたらそのころ新年の挨拶を書いているかも。それでは、良い新年を。

   

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2011年12月30日

あっけない話し

 今朝奥さんが物入れからアルミ製の脚立を出してきた。そういえばこんな物も家にあったっけ。何をするのかと思ったら、それを僕の部屋に持ち込み蛍光灯のカバーを付けるという。コツが居るし大丈夫かと下からサポートすることに。取り付けの方向を説明して下から「もう少し右」とか言い始めて物の1,2分、「カチッ」とロックがかかる音がしてカバーがはまってしまった。嘘だろう?僕も奥さんも半信半疑、恐る恐る脚立に登って調べると確かにしっかり取り付いている。23日の転倒は何だったのか。道具の重要性を思い知らされたというか、奥さんの頼りがいを思い知らされたというか(笑)

 午後は冴香と奥さんで赤池のお墓参りに、僕はまたお留守番。もう何年行ってないだろう。おじいちゃんおばあちゃんご免なさい。冴香や雷太は僕の子には珍しくこまめにお墓参りに行く、これは母方の祖父がお坊さんだったことのDNAがそうさせるのだろうか。

 ここ何日かやたら甘い物が食べたくなる。特にクリームをたっぶりきかせたプリン。ご飯のすぐ後でも食べたいくらい。体重増には良さそうな気がするけど、また血糖値でごちゃごちゃ言われるんじゃないかな。美味しい物は素直に美味しいと食べたいよね。  

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2011年12月29日

アウトレット

 今日29日は冴香とママが朝早くから張り切っている。聞けば長島温泉のアウトレットに買い出しに出かけるとか。そうなると僕はまた1日お留守番。昨日あたりからテレビも面白くないし、かといえ先日のように転倒してもいけないし昼寝でもしているか。

 昼はローソンのコンビニ弁当、今日はお気に入りのとろ鉄火が無かったが昔(唾液が出た頃)は大好物だった塩焼きそばがあった。ボリュームは少なめだがなんと560カロリーもある、昼はこれに決まりそれと森永の焼きプリンとポカリを合わせれば1000カロリー弱になるはず。栄養バランスはともかくカロリーは稼げる。でも焼きそばをポカリで食べるのはちょっとうんざり。

 夕方5時頃二人が帰ってきた。二人とも何か気に入ったものが手に入ったらしい、ご機嫌と言った感じ。クリスマスとお正月の端境期で混雑もして無くゆっくり選べたらしい。幸せそうな顔を見ているのはこちらも楽しくなる。やはりこれは奥さんにとって娘ならではの楽しみなのだろうな。冴香は今年は有給も併せて4日まで滞在するという。たっぷり遊んでやって下さいな。  

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2011年12月26日

福袋

 何かちょっと早すぎるお話のようだけど、この年末にあったんです。「洋服の青山」ってあるでしょ、そこの商品券が6000円ほどあって有効期限がこの12月。それで23日大転倒の日外出する奥さんについでに青山寄って何か実用的なアンダーシャツかなんかあったら買って、なければ変なものお金追加して買うより商品券なんか捨てちゃおうと言っていたのですが。

 そこにあったんですクリスマス?福袋。2万9千円相当が入って五千円。中身はジャージとかのスポーツウエアらしいというので奥さんも商品券捨てるよりはと茶目っ気を出して買ってみたそうです。

 家へ持って入ってきたときには何事かとびっくり。巨大な赤い手提げ袋を抱えてきたのですから。まさかそれを持って加藤登紀子のコンサート?と聞いたら帰りに買ったとか。とにかく二人とも生まれて初めての福袋、興味津々で開いてみると。

 うんと衣装持ちになったような気はする、いっぱい出てくる。その品にしては信じられない高額?な値札が付いている、確かに足せば2万なんぼだろう。全部中国製のポリエステル。在庫整理とかではなくこの福袋用にわざわざ作らせたのだろう。こうなると二人で顔を見合わせて笑うしかない。世の中の福袋ってこんなものなんですか?青山も長くないなあ。

 名古屋は朝雪、少し積もっていた、寒い。新幹線が遅れているとか。冴香は明日(27日)帰ってくるとか大丈夫かなあ。もう年末なんだ、否応なく思い知らされるのがテレビの番組、レギュラー放送が終わってしまいつまらない特番ばかり。これが当分続くのかと思うとうんざり。  

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2011年12月24日

大転倒

 昨日は奥さんが外出、年2回楽しみにしている加藤登紀子のコンサートと友達とのランチ。ぼくはお留守番。

 何かできることはないかと見回すと、そういえば僕の部屋(うんとよく言えば書斎)のランプが古くなっていて交換用の蛍光灯が買ったままになっていた。目が良くないし立ちくらみするし、天井に着いているので取り替えは毎回結構大変だというのでお正月に雷太が来たらやって貰おうかと話していたのだけど何となくできそうな気がして。それに奥さんをちょっとびっくりさせようかなんて気もあって、いつものように自分でやってみることに。

 ダイニングの椅子を踏み台代わりにカバーをはずし、5本の蛍光菅をいつもよりちょっぴり苦労しながらも難なく交換。なんだ、けっこうできるじゃないかと最後のそしていつも手こずる最大の難関、カバーの取り付けに。

 もう一度踏み台の椅子の位置を調整すれば良かったのかも知れない、そのままカバーを付けようと体が前のめりになった途端カバーを持ったまま椅子ごと前に落っこちた(感じがした)。しまったと思ったときは右肩を下にフローリングの床に激突。メガネが飛んだのが分かった。

 衝撃は感じたけど痛みは無い、でも体が動かない。どのくらいじっとしていたのか、意識不明にならなくて良かったなどと考えながら横になっていた。そのうち体が動きそうな気がしてきて骨折などしていないことを祈りながら手、足の順に動かしてみる、大丈夫。やっと体を起こしてメガネを捜す。頭のそばに落ちていた、カバーは?幸い壊れていない。全身チェックしてみると、右手の小指の付け根が触ると痛い。そこが体の下敷きになったよう。動かすと痛いがそうでなければ痛みもないし腫れても来ない、折れては居ないよう。取りあえず常備しているロキソニンテープを貼る。

 奥さんの怒る顔が目に見えるよう、さすがにもう一度試みようとは思えず、カバーはそのままに。でも部屋は明るくなったしまあいいかという感じ。

 小指が痛むようなら今日(土曜日)向かいの外科でレントゲンを撮って貰おうと思っていたけどその必要は無さそう。
歳を取るとちょっとしたことで骨折したりすると聞いていたけどなんとなく分かる気がしてきた。でも抗ガン剤の副作用にふらつきとか貧血とかあったけど、そいつがこれかなあ。入院中は外来の診察に行くのに看護婦に無理矢理車いすに乗せられたけど、こんな事を警戒していたのか。

 つまらないことを長々書いてしまった。つまらなかったでしょう、ごめんなさい。でもこう体の機能が次々落ちていくのはつい愚痴りたくなってしまう、済みません。  

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2011年12月21日

入院:テレビが友達

 去年の入院と一番大きく違ったこと、それはベッド備え付けのテレビ。地デジ対応の薄型液晶になっていた。テレビ台のテーブルユニットごと変わっていてDVDプレーヤーと小さな冷蔵庫が組み込みになっている(前回の写真参照)。無論有料で1枚1000円のカードを差し込んで使う。大体1分1円と書いてあるがもう少し高いような気がする。冷蔵庫は24時間で50円、音がしそうで使わなかったけど。液晶テレビのいいところは消灯後に点けていても光の漏れがほとんど無いこと。看護婦も文句言わないのでどうしても夜遅くまで見てしまう。目が悪いので新聞や週刊誌の活字が辛くて
どうしても朝からテレビ点けっぱなし状態になってしまう。おかげでテレビカードが1日ちょっとしか持たない羽目に。
水分摂取の制限もあってストレスが貯まってやけくそでテレビを見ていた。逆に言えばテレビが救いだったかも。そう思って奥さんに唯一の贅沢許してとか言って笑われたりしていた。

 入院の思いではこれくらいかな、入院シリーズはこれでお終いにしよう。明日は眼科の通院入院中に複視の矯正は諦めたくせに緑内障の疑いがあるとか言われ通院の羽目に。これにも笑っちゃう話しがあるのだけどまた次回。  

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2011年12月21日

入院:誕生日

 12月13日入院中に64歳の誕生日を迎えました。病院からのお祝いは誕生日特別職。お昼に料理長みたいな人と婦長さんが運んで来ました。写真はピンボケで良く分からないかも知れないですが仕切られたお弁当箱に、甘エビとホタテのお刺身、鴨のロースト、さわらの焼き物、野菜の煮物、メロンとオレンジ、ケーキと病院食とは思えない豪華版。入院が長引いたのも悪いことばかりではないと思えた次第。

 もうひとつお上からのプレゼントもありました。昭和22年生まれの僕は64歳から厚生年金が全額支給(基礎年金分)。月額6万数千円ですが年金生活者で医療費もかかる人間としては結構ありがたいです。人生最後の増収かと思うと感慨もあるし。来年6月には奥さんも年金支給開始(サラリーマンの妻は65歳まで貰えない)これで長年払い続けた厚生年金がやっと全額回収でき始めることになります。でもこの調子ではそう長いこと貰えそうもないな(涙)。せいぜい入院保険でも稼ぎますか(笑)。でもそれもあと1年、65歳からは支払額が半分になるとか。歳を取るって良いことないですね。



  

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2011年12月20日

入院:僕の奥さん

 去年の入院の時から支度はすべて奥さん任せ。持っているサムソナイトのケースの一番小さいのに(海外へ行くときは僕の一人分)実に要領よく洗面器からタオル勿論着替えや食器の類までパッキングしてくれる。僕が自分でやったら何日もかかりそう。今回のように4,5日の予定ならじゅうぶんな支度だ。おかげで僕は小さな書類鞄に入院書類や自分の小物を詰めるのに専念できる。

 そんな状態なのに奥さん毎日病院に来てくれる、しかも洗い替えの洗濯物を持って。大体決まって朝10時頃現れお昼を一緒に食べ(彼女は持参のおにぎりか病院のローソンのコンビニ弁当)1時半頃帰っていく。それが毎日、彼女に言わすとWALKINGのエクササイズだといって笑うけど、毎日コンビニ弁当で大丈夫かとか、いつ洗濯するのだろうかといろいろ心配になる。去年の入院は10週間と長かったけど土日は外泊(帰宅)できたのでお見舞い通院も週休二日だったけど今回は土日も経過観察で休みなし。気の抜ける日がなかった、入院しているのも辛かったけど彼女も大変だったのじゃないかな?

 でも退院した今はもっと大変かも知れない。水分摂りすぎにならないよう食べやすくて高カロリーなものをいろいろ考えて出してくれている。こちらも死ぬきで頑張って食べているけど(笑)病院と違っておいしいのがなにより。無理してお米食べなくてもいいしね。

 12月9日結婚38年、39年目があるかどうか分からない。毎日を大事にしなければ。奥さんに感謝。

 結婚記念日だけでなく誕生日も病院で迎えてしまった。今度はその話しかな?  

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2011年12月18日

入院:ナトリウムとカリウム

 退院はしたものの書くこともないのでこれからしばらく入院中の状況など書いてみようと思う。
 まず何故4,5日の予定の抗ガン剤テスト入院が3週間にもなってしまったのか。
 前にも書いたけど去年の放射線治療の副作用で唾液が全く出ない。だから食事のたびや日常でもお茶を浴びるように飲んでいた、奥さんに言わすと1日4リットルほども飲んでいたとか。それ自体は悪いことではないそうだけど、充分な食事のできている人の話。食べにくいこともあってほとんど食事も満足に摂らない、そんな生活を1年続けていた限界が近づいていたらしい。ナトリウム低下の特徴らしい元気が無くぼーっとした日が多くなっていた。ちょっと前から定期点滴でナトリウム低下が指摘されていたけど医者もさほど深刻に考えていなかったらしい。それが強い抗ガン剤の注射をトリガーに限界を超えてしまったのではないか(素人考えだけど)。退院予定の4日目にそれが表面化、入院延長で治療ということになってしまった。

 治療は食塩水の点滴なのだけど、嫌だったのおしっこの管をつけられたことと水分摂取制限。最初1日は絶飲食、その後は1日800CC、3日位でナトリウム低下は改善されておしっこの菅も外れたけど相変わらず水分は1500CCに制限、それも終わって退院かと思ったら今度はカリウムが低下しているとまた入院延長。今度は塩化カリウム(塩だ)の粉を服用させられ心電図計まで付けられ経過観察、相変わらず水分制限で一週間。土日薬を服用月曜にはカリウムも正常に戻ったのに退院は週末だという、そうなるとこちらも諦めの開き直りムード、保険金稼ぎと割り切って我慢することに。とにかく水分控えめで食べることのコツ取得にがんばる。で予定どおり数値も安定して16日退院に。

 結婚記念日も誕生日も病院で過ごすという珍しい12月になってしまった。結婚38年目、次回は入院と奥さんとでもテーマに書いてみようか。  

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2011年12月16日

お久しぶり

 4,5日の入院のつもりが3週間19日間になってしまった。今日16日午前中なんとか退院。ぐったり疲れた。左目はまぶたがたれ開きにくくなるし人相が変わってしまった。耳もますます遠くなり補聴器を常用する必要も。せめても入院前の元気な姿を雷太一家や迪子ちゃんに記憶してもらえただけでも良かったと思わねば。右目の視力も(一時的なのか?)落ちているので今日はこの辺で。夕方は歯医者再開。1月10日に再入院2度目の抗ガン剤再挑戦予定。クリスマスとお正月は家で過ごせるしミーチャンたちにも会える、今回の入院で何が起こったのかはまた次回に。取りあえず退院のご報告でした。  

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